今回は、1951年から1961年までに、米国債の逆イールドが発生しなかった理由を探ってみます。
前回述べたように、1934年から1951年のアコード締結までは、FRBによる国債価格の維持政策が行われ、金利が固定化されたため、逆イールド(長短金利の逆転)は起こりませんでした。
しかし、上のグラフのように、1951年のアコード締結以降、金利が大きく変動する中でも、1961年までの三回の景気後退の前に、長期金利の逆転は起きていません。
その理由を、探るために、上のグラフと同じ期間における、CPIの前年同月比を見てみます。
上の二つのグラフを比較して、不思議に感じるのは、1952年頃にCPI前年同月比が約10%でピークアウトしているにも関わらず、3ヶ月債利回りがその後も上昇を続けて、1953年の景気後退入り直前には、2%強に達していることです。その時点でのCPI前年同月比は、0.37%であり、インフレは沈静化しています。
すなわち、この期間において、FRBは、短期金利を引き上げて、消費者物価のインフレを鎮静化させたにも関わらず、景気後退入りするまで、短期金利の引き上げを続けていたと考えられます。
現在では、考えられないほどに、FRBはタカ派的な金融引き締めを行っていました。
以下のグラフは、1953年、1957年、1959年の各景気後退の前において、3ヶ月債の利回りが最大だった年月を探して、その時点での利回りとCPI前年同月比を比較したものです。
いずれも、CPI前年同月比は、2%以下で、消費者物価のインフレは落ち着いているにも関わらず、短期金利は、2%から4.5%と、金利は相対的に大きく引き上げられています。
米国では、1934年から1951年まで続けられていた国債価格の維持に政策によって、特に、第二次世界大戦後にインフレが激しくなり、1950年代もその影響が残っていました。
金融の引き締めによって、一時的に、消費者物価のインフレが沈静化しても、商品価格など他の分野では、まだ、価格高騰が続いていました。
従って、FRBは、ある程度、景気を犠牲にしてでも、タカ派的な金融引き締めを続けざるを得なかったと考えられます。
「物価の安定と雇用の最大化」という現在のFRBの政策目標とは、若干、異なった金融政策が行われており、それが、この時期に逆イールドが発生しなかった原因と考えられます。
以下のグラフは、1953年から2008年の各景気後退において、その、直前での長短金利差の最小値を抽出して比較したものです。
注)長短金利差・・・10年新発債利回り-3ヶ月既発債利回り。但し、月次平均値。
上のグラフを見ると、長短金利差は、徐々に低下して、1960年代以降は、0%かそれを下回る値となっており、この時期以降は、FRBの金融政策の正常化により、イールドカーブが景気後退の先行指標として有効となってきたと考えられます。
次回は、このシリーズの最終回として、まとめを考えています。
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